Archive for 11月 2013

なんのために働いているのか 「ゼロ」を読んで

堀江貴文さんの「ゼロ」を読みながら、人生で初めて心から楽しい仕事をした日を思い出した。

人生で初めて心から楽しい仕事をしたのは、大学生のころ。
自宅近くの美容室のホームページを、営業からサーバーの用意、デザイン、コーディング、運用の全てやりきった時だ。

美容室の責任者の人とホームページを作り上げ、喜んでいただき、対価を得る。

覚えたてのhtmlやflashを駆使して、だれかとモノを作り上げ、さらに喜ばれ、使われる。

こんなに楽しいことは他に無い。

この仕事をしたとき、本当にhtmlは覚えたてだった。いただいた対価もすぐに技術を磨くための本代に消えて行った。

―――

大学生になりたてだった私は、よくある大学生のようにサークルに入り、平凡に毎日を過ごしていた。

入ったサークルは「ロボカップ部」。サッカーするロボットで競技をする「ロボカップ」をするサークルだ。

ただ、大学生になりたての私はプログラムが書けるわけでもなく、ただただ「ロボット=かっこいい」程度の気持ちで参加していた。

サークルの上級生に初めてのプログラミングを教えてもらう機会があり、まず、メモ帳とブラウザを開くように言われた。

メモ帳にてすとと書かされ、何をしているのか全く分からなかった。

そのメモ帳を保存し拡張子をhtmlに変え、ブラウザに放り込む。

すると「てすと」と表示された!

と書き足すように言われる。

また保存して放り込む。

すると画面が赤くなった!

目の前で起きていることがまるで魔法の様で、今でも鮮明にその感動を覚えている。

文字を並べるだけで、赤色の背景に文字を浮かべることができた。
この変換に魔法の様な魅力を感じた。

すぐに書店でhtml辞典という本を買い、わけもわからず片っ端から試して覚えて行った。

htmlは、ひとつひとつが新鮮で、ひとつひとつが違う動きを見せてとても楽しかった。

―――

技術を学ぶのが楽しく、困っている人・ホームページが欲しいと思っている人に対して、その技術をつかって問題解決ができる。

その問題解決で生み出したサービスが誰かに使われる・喜ばれる。

これらの一連の流れ全てが楽しく、時間を忘れてハマれる仕事だった。

自分にとっては、いくらもらえるとか、そんなのは正直どうでもよかった。

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突き抜けられる人と、そうでない人の違いは、次の一点に尽きる。
物事を「できない理由」から考えるのか、それとも「できる理由」から考えるのか。それだけだ。
突き抜けられるかどうかは能力の差ではなく、意識の差なのである。
—————————-
「ゼロ」の中に登場する言葉。

当時、覚えたての技術や未知の技術が必要な場合でも、「できます!」と言ってから書店で参考書を漁り、解決へ向けていた。

「できる理由」から考えており、その根底にあるのは、自信だ。

自信を得るためには動くこと。働くこと。小さな成功体験を重ねることだ。

常に頭をフル稼働させて、仕事と遊びで24時間を埋め尽くし、実際の行動に移して行く。

ネガティブになるのは暇だから。
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あらゆる時間を思考と行動で埋め尽くしていけば、ネガティブな思いが入りこむ余地はなくなるのである。
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タイム・イズ・ライフ
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「自分の時間」を生きるのか、それとも「他人の時間」を活かされるのか、を常に意識化しておく必要がある。
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仕事の質は、ひとえに「集中力×時間」で決まるものだ。
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気になったワードを並べてみた。

没頭すること。自ら考え作り出したルールで仕事をつくっていくこと。

考え、つくり、小さい成功を足していく。

そんなことに気づかされる本でした。

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人間が興味を持つコンテンツって? 「ルールを変える思考法」を読んで

「コンテンツの価値は、誰かの人生を変えられるかどうかで決められる」
「人間は『わかりそうでわからないことが気になって興味を持つ』」

ドワンゴの代表取締役会長 川上量生さんの「ルールを変える思考法」に記されている内容です。

読了したので、読みながら考えていたことなどを書き残します。

最近「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」を見たのですが、エヴェといいまどマギといい、見ていると分かった気になって、けれども謎の部分も多くて…といったように、理解できるかできないかギリギリのラインの存在であると思います。映画を見終わった後のあの、何とも言えない残尿感のような、分かったようで分からない状態。

でも、そんな状態が、作品に対しての興味や関心を深め、何度も見てしまうという行動に現れたり、DVDで買って後でゆっくり見ようと思ったりするんじゃないかなと思います。

そういえば、「千と千尋の神隠し」も、分かったようで分からないような状態で映画館を出たのを思い出します。この映画も3回くらいは足を運び、さらにはDVDまで買っています。

映画自体のクオリティ(グラフィック等の品質)としても良いのですが、根底にあるのは、この分かりそうでわからないギリギリのラインを突いたコンテンツだからなのかも知れません。本の中にもその様な表現で出てくるのですが、人間が気になるものというのは、判明できないけれど、全く分からないでお手上げになるような状態ではない、ギリギリのラインで存在している。

エヴァの監督で有名な庵野秀明さんも何かの書籍で、「作品のなかで辻褄が合わないような矛盾をつくる」と書いていた気がします。
ジブリの監督の宮崎駿さんが、絵コンテを週刊連載のように書き続け、だれも結果が分からない状態で作品を仕上げて行くようなスタイルになっているのも、分かりそうで分からないものを生み出すのに最適なフローなのかも知れません。

両者に言えるのは、本人も実際のところどうなのかは分からん部分があるということです。

作り手が分からないものなので、見る側も答えが無いところを探しまくるという現象が起き、興味を引く作品になって行くのだと思います。

遠くなりましたが、人の気になるコンテンツには、そういう矛盾ともいえる点が存在しているんだと思います。

川上さんはコンテンツの話とビジネスの話を織り交ぜていて、川上さんはそう考えているのか!と驚かされる視点が多く書かれています。

ニコニコ動画の話がやはり多くなりますが、そのサービスを運営していくうえでの、ゲームなどのコンテンツとの関係性について書かれた部分は、多く共感するものがあり、楽しく読めました。

何かしらのコンテンツを運営していくうえで、運営側も読めないけれども、正しいと感性で思うようなことを押し進めていくこと。無茶苦茶ではない、説明できそうでできない、そんなラインのものを提供すること。それは、真のユーザー目線のサービスを考えられていてこそ、導きだせるものなのだと思います。

ユーザー目線とは、完全にユーザーの立場となって考えるということ。
その様な視点で考え、押し進める施策は、まさしくユーザーに当たるコンテンツとなって生きて行けるのだと思います。

真にユーザーのためのものとなっているからこそ、だれかの人生を変えられるようなコンテンツとして存在し得るのかもしれません。

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